第13章
北の大地

(3)

 慌てて立ち上がった美緒の顔に、男は持っていた小型のライトを当てた。
 それが眩しいので、手でさえぎると、
「こんなところで、何をしているんです?」
と、訊いてくる。
「いえ、別に」
「あなたは?」
 横にいた宗像が逆に尋ねた。
「警察の者です」
 そう言うと、男はポケットから警察手帳を取り出して開いて見せた。
「なんだ。びっくりしたわ」
 思わず、ほっとしたように美緒が言う。
「私たち、保険会社の者です」
 美緒は、名刺を取り出して警察官という男に渡した。
「ほほう、保険会社の調査員の方ですか」
 男は、英文の混じった名刺を珍しそうに眺めている。
「若狭さんは、ただの調査員ではなく極東支社調査部の副部長なんです」
 宗像が、横から付け加えた。
「すると、先般の事故に関してお調べな訳ですか」
「まあ、そんなところです」
「なにか、事故に関してご不審でもありましたか」
「ええ、直接ではないんですが少しばかり疑問がありまして」
「ぜひお話を伺いたいですね」
と言って、男は周りを見渡したが、
「ここでは寒いですから、どこかでお茶でもいかがですか」
「はっ?」
 近くの交番へでもというのかと思ったら、警察官からお茶を誘われて、美緒は面食らった。
「向かいのホテルに行きましょうか。たしか一階にラウンジがあったはずです」
 何のことはない、それは美緒が宿泊を予約しているホテルである。
 信号が変わると、促されるままに美緒は男と一緒に道路を横切り、その後を美緒のバッグをぶら下げた宗像がついてきた。
 ホテルの中に入ると、暖房が効いていてむっとするほどである。
 ラウンジは、一面を大きく広いガラス窓が大通公園に向いていた。
「ええと、コーヒーひとつに」
と言って、美緒と宗像を見た。
「同じものでいいです」
「じゃあ、コーヒーを三つ」
 注文を終えてから、ゆったりとしたソファに腰を下ろすように促した。
 明るいところで見ると、まだ四十前後のように見えた。
「改めまして。こういうものです」
 男が名刺を二人にくれた。
「警部さんですか」
 名刺には、北海道警察本部捜査一課警部の肩書きがあり、昆野という名前らしい。
「ああ、そうか」
 宗像が頓狂な声を出した。
「え、どうしたの」
「いや、ひとつ手前の道を上がったら道警本部なんです。すぐ近くなんですよ」
 九十五年に新しく建築された北海道警察本部は、地上十三階、地下三階の堂々たる建物で中央区北二条西七丁目にある。
「まあ、そうなんですがね。別に、暇つぶしに現場にいた訳ではありませんよ」
と昆野は苦笑した。
「私のほうはともかく、若狭さんが不審をもたれたというお話を伺いたいですね」
「ええ、実は」
と、美緒は神奈川県警管轄下で起きた事件を簡単に説明した。
「なるほど。雨と雪の違いこそあれ、放置されていた状況は似ていますね」
「それだけではないんです。横浜の場合は、ポケットの中のお財布までぐっしょりと濡れていたんです。いくら野外に放置されていたからと言って、小雨程度であり得るでしょうか。こちらの被害者の方も、下着まで濡れていたという報告がありましたので、念のために確かめに来たんです。積もった雪が体温で解けたと言うこともあるかも知れませんが、あたしには腑に落ちないのです」
 昆野は頷いて、感心したような呆れたような顔で美緒を見た。
 初めて聞く宗像も、目を丸くして聞いていた。
 ずっと営業をやっている宗像は、美緒の名前は知っていても仕事の詳しい内容までは知らなかった。
「しかし、凄いところに目をつけられたものですね」
「ただ、素人の思いつきです」
「いや、とんでもないです。玄人はだしですよ」
と言ってから、
「その被害者も保険契約者なんですか」
「いえ、契約はありません。ただ、他の件に関係していた方なんです」
「その他の件というのは、お差し支えなければお聞かせ願えませんか」
 美緒は、詳しい内容を初めてあったばかりの相手に話していいものかどうか迷った。
「契約者の名前や、細かいところは伏せさせて頂きますが、それでよろしいでしょうか」
「結構ですよ」
 そこで、トルネードネットに関する個人情報漏洩事故の経過を、ざっと説明した。
 聞き終えた昆野は、腕を組んで天井を見つめている。
「この件は、神奈川県警の山鹿警部にもお話ししてあります」
「ほう、山鹿警部ですか」
「ご存知ですか」
「いえ、お目にかかったことはありませんが、お名前だけは存じ上げております」
 そう言うと、間を取るように運ばれてきたコーヒーをひとくち飲んだ。

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